top of page
NFDAlogo.png

「真に教える」ということは、
  子どもをさぐることの中にしか成立しない 

長岡文雄について

​人物像

 1917(大正6)年、福岡県に生まれる。学生時代は書道に夢中になり、憧れの師を追って師範学校に入学。1937(昭和12)年、21歳で小学校教員となる。1943(昭和18)年には現・奈良女子大学附属小学校に着任。そこで展開された現在の生活科や社会科、総合学習といった学びの原点となる「奈良プラン」をもとにした教育実践に取り組む。「「真に教える」ということは、子どもをさぐることの中にしか成立しない」という言葉を残すように、深い人間理解に根ざした教育を行った。「実践を通した現場からの教育学樹立、自らの個性的な教育学樹立」を目的とした40年以上にわたる実践研究を通して、多くの著作や論文を残している。
 著作としては、「子ども理解」のための具体的な方法を究明した『子どもをとらえる構え』や、一人の児童の小学校六年間の成長や学習の発展過程を追究した『〈この子〉を拓く学習法』が教育界において高く評価されている。
 また、近畿書道教育協会の設立や文部省検定の書道の教科書を執筆するなど、毛筆の日本文化を絶やさないために生涯を通して書道教育にも力を注いだ。
 長岡の実践と研究は、小学校社会科、生活科、書写の指導に関するものを中心とし、これらの分野においてその推進と発展に多大な功績を残している。

                       
参考:長岡文雄(1996)『私の歩む道』伸光印刷(私家版)

会社案内

​年譜

大正6年(1917)   福岡県八女郡光友村(現在の八女市)に生まれる。
大正13年(1924) 福岡県八女群光友尋常高等小学校入学。
                             同校で「木下竹次の奈良の学習法」を学び、大きな影響を受ける。
昭和5年(1930)   光友尋常高等小学校尋常科卒業。同校高等科に進学。
昭和6年(1931)   日下部鳴鶴の書に巡り会い、書道に夢中になる。
                             書家石橋啓十郎に書道を習うため、小倉師範学校を受験。
昭和7年(1932)   福岡県小倉師範学校本科第一部入学。
昭和12年 (1937)福岡県小倉師範学校本科第一部卒業。福岡県公立小学校訓導に就任。
昭和14年(1939) 福岡県小倉師範学校訓導に就任。
昭和17年(1942) 文部省中等教員検定試験(習字)に合格。この年度の全国最年少合格者だった。
                             小学校国語科の書き方(書写)の指導を担当。
昭和18年(1943) 奈良女子高等師範学校附属国民学校訓導に就任。
昭和21年(1946) 奈良女子高等師範学校文部教官に就任。
                             書道教育協会を設立し、理事長として毛筆習字・書道の復活運動を展開。
昭和22年(1947) 奈良女子高等師範学校附属小学校で社会科の実践的研究に着手。
                            青少年赤十字の援助活動に加わり、同校に「赤十字の時間」をもうけ、
                            児童の健全育成活動等、その実践的研究の推進に寄与。
昭和23年(1948)奈良女子高等師範学校附属小学校教諭として、「奈良プラン」を作成。
昭和25年(1950)検定教科書「国語書方 小学校一年~六年 全12巻」が採用される。
                            奈良女子大学附属小学校にて「青少年赤十字代表補導者協議会」開催。
昭和33年(1958)「社会科の初志をつらぬく会」の設立を呼びかけ、創立の会を開く。
昭和34年(1959)日本赤十字社から青少年赤十字指導功労者として表彰。
昭和35年(1960)日本放送協会(NHK)にて『教師の時間 東南アジアの国々』がテレビ放送される。
昭和47年(1972)奈良のあやめ池桃山荘を会場にし、初志の会全国集会を開催。
昭和50年(1975)奈良女子大学文学部附属小学校教頭に就任。
                          『子どもをとらえる構え』(黎明書房)が日本図書館協会および
                            全国学校図書館協議会選定図書になる。
昭和54年(1979)文部大臣より教育者表彰を受ける。
昭和55年(1980)兵庫教育大学学校教育学部附属小学校副校長(教頭)として創設に携わる。
昭和56年(1981)兵庫教育大学学校教育学部助教授に就任。「教育方法講座」の基板づくりに尽力し、                                社会科教育・生活科・教育方法論等の講義をする。
昭和57年(1982)兵庫教育大学学校教育学部教授に就任。
昭和58年(1983)定年により退官。佛教大学教授に就任。通信教育の学生の指導にも尽力する。
                          『〈この子〉の拓く学習法 』(黎明書房)が日本図書館協会選定図書になる。
昭和59年(1984)生活科の創設にあたり、文部省の小学校低学年教育問題懇親会から依頼され
                         「我が国における合科教授の流れについて」の講演を行う。
昭和63年(1988)佛教大学嘱託教授(平成2年まで)に就任。
平成2年  (1990)佛教大学中国文化研修団として、トルファンで研修を行う。
平成3年  (1991)文部大臣より叙勲を受ける。
平成22年(2010)逝去

  • X
  • Instagram
  • Discord
アセット 1_2x.png
​お問合せ先:国立大学法人兵庫教育大学教材文化資料館
TEL:0795-44-2362(平日9:00-17:00)
〒673-1494 兵庫県加東市下久米942-1
bottom of page